インタビュー

まちづくりのキーマンは地元の床屋さん。 山あげ祭の存続と、まちのこれからを考える。 高橋誠一さんインタビュー!

まちづくりのキーマンは地元の床屋さん。
山あげ祭の存続と、まちのこれからを考える。
高橋誠一さんインタビュー!

烏山駅近くの中心街で床屋を営む高橋誠一さん。
昨年の山あげ祭では若衆さんを陰でまとめる重要ポスト「金井町筆頭世話人」も務めました。
『山あげ祭金井町若衆筆頭世話人』、漢字で書くと厳(いか)つい。
ですが、高橋さん自身は穏やかでとても親しみやすい方です。お祭以外でも普段から多方面で頼りにされています。
また、床屋の本業以外に「クロスアクション」という地域団体を立ち上げ精力的に活動をしています。
そんな高橋さんに山あげ祭のこと、クロスアクションを立ち上げたきっかけ、まちへの想い、そしてこれからのことをお聞きしました!

人が減るというのは、町に変化がないから魅力がなくて出ていくっていうのもあると思う。でも反対に、変らないという魅力でずっといる、という人もいる。

●生まれも育ちも那須烏山市ですよね?
 実は生まれは東京です。元々こっち(烏山)が親父の実家だけど、江東区で生まれて小学校1年生の時に烏山へ戻ってきました。
だから生まれてから10年くらいは東京に住んでました。
自分は4代目で、元々おじいちゃんがこっちで床屋をやっていました。
 父親は東京の床屋の職人で、20年くらい東京で働いていました。で、ちょっと都会の生活に疲れてきてこっちに戻ってきた。
 自分は、小学生のときにこっちへ来てから高校まで烏山にて、その後また4年間、専門学校と理容師としての修業のために東京へ出ました。

  ー そうだったんですねー!てっきり生まれも育ちも那須烏山だと思っていました。 ー

ヘアーカット中の高橋さん。お客様との会話も弾んでいました。

●高校卒業後、東京へ再び出たわけですが、また戻ってこようと思ったきっかけは?
 高校卒業して1年間東京の理容学校へ通って、そのあと3年間世田谷の桜新町の理容室で働いていました。20代前半に一度身体を壊して、それで一回戻ろうと。そのときはあくまで一時的で、また東京へ出る気だったんだけど、「床屋のせがれが戻ってきたぞ」って周囲に知れ渡って。そしたら消防団とか祭りの若衆とかいろいろな方面から勧誘がきた。それでそのまま烏山に残ることにしました。

 ― 地元の若者が戻ってきたということで、いろいろな方面からお声がかかったんですね。 ー

●以前と比べて町の様子で変わったなと思うところはありますか?
 とにかく子供が減っている。街の中を歩く人も少なくなったね。昼間も夜も歩いている人がほとんどいないよね。子どもたちも外で遊ばなくなったし。
自分が子供のころはベビーブームで烏山小学校も1000人を超える児童がいた。けど、今は昔の烏山・野上・向田3校併せても500人もいない。

  - 依然と比べるとだいぶ減ってしまいましたね。 ー

 人が減るというのは、町に変化がないから魅力がなくて出ていくっていうのもあると思う。でも反対に、変らないという魅力でずっといる、という人もいる。どちらもあるよね。あとはやりたい仕事がないから出てくというのもあると思う。

  - なるほど。変わらないといけないところはあると思いますが、変わらないから残っている人もいる。どちらがいいか、一概には言えないですね。ー

「若衆だけで家が建つ」といわれたくらいだからね。

●山あげ祭には子どもの頃から参加しているのでしょうか?
 山あげ祭に本格的に参加するようになったのは、東京の修業が終わってこっちに戻ってきてから。
子どもの頃は、子ども神輿を担いだりしてた。自治会ごとに育成会(子供会)があって子供神輿を持っていたからね。以前は子どもがたくさんいて、一つの育成会で野球チームができるくらいだった。
※山あげ祭特設サイト➡ http://www.nasukara-yamaage.jp/ 
 2018年
の山あげ祭は、7月27日(金),28日(土),29日(日)の3日間です。

屋台を引く金井町若衆さんたち。

●高校生のころなんかも参加していたのでしょうか?
 高校生のときは野球部で、そのときの監督が仲町の世話人だった。それで、夏の県予選で負けた後、「全員仲町の祭に出ろ」、みたいな感じで山あげ祭に出てね。だから若衆デビューは自分の家のある金井町より仲町の方が先で。これが若衆として祭りの魅力に取りつかれたきっかけかな。
うちは親がこっちに戻ってきたのが遅かったから、育成会や部活がきっかけで山あげ祭に関わるようになった。

 - 若衆デビューは部活がきっかけだったのですね!ちょっと意外です。 -

 もともと祭自体、自分たちで商売やっている若旦那衆の遊びみたいなものだったから。祭に参加する人のほとんどは、いわゆる職人と呼ばれる自営業の人。昔は職人じゃないと若衆に入れないみたいな感じでね!親子代々でないとできなかったんだよ。
「若衆だけで家が建つ」といわれたくらいだからね。大工がいたり、電気屋がいたり、水道屋がいたり。
サラリーマンの人はなかなか参加できなかったんだよね。
自分のサラリーマンの同級生が若衆になるときなんか、サラリーマンだけど若衆に入れてもいいかって協議したりして。

 ー えー!?そんなことがあったのですか。今では考えられないですね。 -

金井町の屋台と若衆さんたち。

●山あげ祭では昨年「金井町筆頭世話人」というポストについていましたが、世話人は祭りではどんな役割なんでしょうか?
 世話人はあくまでも裏方。警察や行政、他の町との調整など事務方としての業務が主な仕事。
準備をしているときの若衆さんへの食事、お酒の用意、本番3日間の食事の手配なんかも世話人がやります。世話人は本番までの調整がメインだから、祭本番ではカンカン帽をかぶって屋台の前を歩いていて、山車を引いたりはしない。町にもよるけれど、金井町は本番では現場に一切手も出さない。荷物も運んだりしない。

筆頭世話人姿の高橋さん(右)。羽織の着こなし、カンカン帽が決まっています。

●山あげ祭に長く関わっている高橋さんの思う祭の見どころは?
 見にくる人の視点によっても違ってくると思うんですけど、現場にいる立場からいうと、まず若衆の動きに注目してほしいです。
もちろん踊りや舞台も素晴らしいですよ。ただその表舞台だけでなく、自分は裏方である若衆の動きや仕掛けに注目してほしいです。
何年か前には筑波大学の学生が祭の仕掛けや若衆の動きを卒論のテーマにしたいって、勉強しにきたりしたこともあったんだよ。

  - なるほど。表舞台ももちろん華やかで見ごたえありますが、若衆さんの動きも見どころですよね! 私も昨年初めて山あげ祭を見ましたが、裏方を見るのもとても興味深かったです。ー

昨年の山あげ祭の一コマ。 昨年の当番町の仲町若衆さんたちが、舞台や山を組み立てたり解体する様子を見ることができました。

表舞台も華やかですが、裏方を務める若衆さんたちの動きも見どころです。

祭りの魅力を伝えきれていない気がするんだよね。

●昨年、ユネスコ無形文化遺産に登録されましたが、今後の継承のためにどんなことが必要だと思いますか?
 登録はされたけど、ユネスコの効果から祭を観にくるお客さんはだんだんいなくなっていくと思うんだよね。
もともと国の文化財にはなっていて、山あげ祭を支える山あげ保存会というのがある。また、保存会とは別に山あげ祭実行委員会があって、今はそこが受け入れ体制の整備や対外的なPRとかやっているけれど、今後はその組織の強化を図るべきだなと思う。
これからの運営やPRには第3者的な組織が必要。行政も含めた大きなシステムや組織が必要だと思う。

  ー ユネスコ登録は誇れることですが、今後の存続・保存についても考えないといけないですね。ー

屋台や若衆さんたちを引き連れて街中を歩いていく様子。中央が高橋さん。迫力があります。

 祭りの魅力を伝えきれていない気がするんだよね。
山あげ祭は、ほかの有名な祭りと比べても全く遜色ないと思ってる。それは祭の中に入ってやってきたから分かってる。
でも、まちづくりの活動から外の人と関わることが多くなる中で、祭の話を聞くと、祭の魅力がちゃんと伝わっていないなぁと感じることがある。現場で動いているとPRに関して手が回らない。そこまで余裕がないんだよね。
来年からは筆頭世話人も終わるから、これからは現場からは離れてPRする側に回りたいですね。
若衆はプライベートの時間を使って頑張っているんだから、そこをもっときちんと祭の魅力を伝えて、もっと多くの人に見てもらいたい。なので、これからは祭の魅力を外に発信することに注力したい、伝えていく側になりたい。

 - 私もこっちに来て初めて知りましたし、確かに知名度は低いですね。昨年実際見て、他には類をみない素晴らしい祭りだと思いました。魅力をきちんと伝えていきたいですね。 -

※今年の山あげ祭HP➡ http://www.nasukara-yamaage.jp/kaien/index.html

昨年、ユネスコ無形文化遺産登録記念で行われた大屋台パレードの様子。烏山駅前に六町の屋台が勢ぞろいします。特別な時だけ行われるそうです。

いきなりこういう団体をつくろう!とパッと作ったものではなくて、いろいろな験を積み重ねていきながら今に至っている。

●本業の床屋さん以外に「クロスアクション」という団体を立ち上げて活動していますが、立ち上げた経緯やきっかけを教えてくれますか?
 クロスアクション立ち上げの前に、地域の人たちの繋がりをつくる「グラボ」という団体を立ち上げていました。
グラボは、地域の中のネットワークをつくろうとしてできた団体。そこで「greendrinks」とかいろいろな企画をやってた。もちろん現在も活動は続いています。※glabo(グラボ):那須烏山市を守りたい人と人の繫がりをコーディネートすることにより、市民主体で社会課題を解決するアクションを「加速させる」組織。グラボFacebookページ➡ https://www.facebook.com/glabo.nasukarasuyama/

 そのメンバーでもある烏山にお嫁にきた女性が旅行業の資格を持っていて、その女性がツアー事業をやりたいということで宇都宮の旅行会社「えにしトラベル(ファーマーズフォレスト)」と組んでツアー企画を何度か実施した。この流れから今までにはない「観光」の形がやっと動き出す「きっかけ」になるなと。

そんな時に、市から「観光振興事業として本格的に取り組んでみてはどうか」と提案を受けた。
ただ「グラボ」という団体で観光事業をやるのは、そもそもの考えと違うのでは・・・?という意見もあり、ならば観光事業に特化した団体ということで「クロスアクション」を立ち上げた。
自分としては、せっかく行政からも声をかけてもらったし、やりたいという気持ちが強かったから。

 ― なるほど。そういった経緯で立ち上がったんですね。ー 

クロスアクションの活動の様子。

市内のさくらんぼ農園「ぼくんちの樹」とコラボして行った、サクランボ狩りイベントの様子。

市内の有機農家「帰農志塾」と行った味噌づくりワークショップの様子。

 もともと自分が市民活動を始めるきっかけというのは「祭り」がきっかけなんだけどね。
祭り当日はドンと人は来るけど、終わると翌日からいつも通り閑散とした状態に戻っちゃう。それがさみしくて。
そう思っていたのはまちづくり活動をスタートする前の話だけどね。
そんな時にFacebookが出てきて、たまたま自分も軽い気持ちでアカウントを作って、そこで祭りの記事をあげたら、見ている人の食いつきがすごくよくて、「いいね」もたくさんついた。そんな投稿を何度もあげていると外の人からも、もっとPRしないともったないよという声をどんどん聞くようになってね、そんなことが今の活動の元になってたりする。
 クロスアクション自体はできて2年半くらいだけど、いきなりこういう団体をつくろう!とパッと作ったものではなくて、いろいろな験を積み重ねていきながら今に至っているんだよ。立ち上げまでに10年近く経っているからね。そうしているうちにだんだん賛同するメンバーが出てきた。

  ― いきなり作ろうと思ったわけでなはなく、10年近くのプロセスを得ているんですね!ー

※クロスアクションHP➡ http://crossaction.jp/
 Facebookページ➡ https://www.facebook.com/cross.action.nasukarasuyama/

クロスアクションが運営管理している駅前コミュニティスペース「ぷらっと」。

昨冬には空き家Barと題して、コミュニティスペースを活用したり。

空き家Barの様子。

●昨年NPO法人化しましたが、今後、クロスアクションをどのようにしていきたいですか?
 NPO法人にしたのは、きちっとまちづくりビジネスとしての形を構築したい、という考えから。
本気でこの街を変えていこう、本気で活気づけていこうという、外への意思表示ではないけど、そういった意味合いもあります。「まちづくり」や「観光」というジャンルからジャンルから“事業”を創り“雇用”を生む!決してただ働きにならないように。ボランティアでは続かないと思って、法人にして稼げる団体にしたかった。
ただマネジメントがかなりが難しいですけどね。

昨年、クロスアクションで作った「山あげ祭てぬぐい」。観光協会の方がデザインしています。

昨年はクロスアクションでは黒ビールを製造。山あげ祭や各イベント、空き家Barなどで販売。

 うちは「観光」といっても宿泊施設を運営してるわけでないし、旅行会社でもない。どちらかというと表舞台に立つわけでもない。いわゆる「観光」という分野から地域のコーディネーターとしての役割が主です。
那須烏山で「日本版DMO」を目指す。なので、今の一番の目標は観光地域のコーディネート。
それもあと5年が勝負。ある程度期間を決めてやらないといけないと思ってて、あと5年で形にならないといけないと思っている。
それくらいの気持ちでやってるから、今後に期待してください!

昨年の大木須そば祭りに出店したときの様子。

クロスアクションメンバーと高橋さん(中央)。

街への関わり方は人それぞれだと思う。

●今後、仕事(床屋)でもプライベートで高橋さんがやりたいことは何ですか?
 床屋の本業は生活のため。もちろん「床屋」という仕事は大好きだし、やりがいも感じています。
ただ田舎で仕事をして家族と過ごして生活していくだけではなんかもの足りなさを感じてしまって、何かそれ以外に生きがいのようなものが欲しかった。そんな中、観光ツアーのコーディネートや祭りのPRなどをやっていくうちにクロスアクションの活動が楽しくなってきて、どんどんハマっていっちゃって(笑)。正直、観光が直接自分の仕事(床屋)に結び付くわけでないんだけどね。
今後やりたいこととしては、クロスアクションを大きくしていきたい。床屋はこじんまりとでいいかな(笑)。ただ、家族をしっかり養えるくらいは頑張らないと!

 床屋も人と触れ合う仕事だから、お客さんと話をして街の情報を得たり、自分の活動を話したりと情報交換の場にもなっている。
だから、まちづくりと全く関りがなくもないんだよね。あと、髪を切りに来るお客さんは自分のファンであることはもちろんのこと、自分の活動の話とかに興味持ってくれる人が多い。 
 まちづくりに関わりたいと思った僕個人の原点は「山あげ祭」。もし祭をやってなかったら今どんな生活をしていたのかなぁ~。
街への関わり方は人それぞれだと思う。
きっかけや原点は違っても、なんとかしたい、何かやりたいと想う人が増えていけばいいなと思います。 
ぜひ、一緒にこのまちを元気にしていきましょう!

高橋さんのお店「ヘアークリエイト・タカハシ」にて。

~ インタビュアーを終えて ~
 私が高橋さんに初めてお会いしたのは、地域おこし協力隊になる前です。
2017年山あげ祭のリハーサルの日に、那須烏山市の見学会に参加して、そこで市役所の方から紹介して頂きました。
高橋さんは市内の様々な方と繋がっているので、日頃からいろいろな情報を得ることができます。
協力隊として就任したあとも大変お世話になっております。

 てっきり生まれも育ちも那須烏山と思い込んでいたのですが、生まれは東京だったという話や、山あげ祭も社会人になってこちらに戻ってきてから参加し始めたことなどは意外でした。
 もしかしたら、市外県外に一度出たことがあるから、市のことを少し俯瞰した視点から見れるのかも?と思いました。外側へ伝わっていないのが分かるというのはそうした視点からなのかな、と。
 また、クロスアクションの活動も今までは中側中心の活動でしたが、今後は外側に向けた活動もしていきたい、と話されていたので、これからの活動にも注目したいです!

 今回改めてインタビューをさせて頂き、とても興味深い話がたくさん聞けました。 
高橋さん、お忙しいところお時間いただき、ありがとうございました。 

インタビューさせて頂いたときの様子。(高橋さんのお店にて。)

山あげ祭特設ページ➡ http://www.nasukara-yamaage.jp/kaien/index.html
NPO法人クロスアクションホームページ➡ http://crossaction.jp/ 
NPO法人クロスアクションFacebookページ➡ https://www.facebook.com/cross.action.nasukarasuyama/

コミュニティスペース「ぷらっと」↓
〒321−0628 栃木県那須烏山市金井2−20−11 烏山合同タクシー2F(JR烏山駅前)

えのもと

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東京生まれ埼玉育ちの元OL。
栃木県那須烏山市 地域おこし協力隊の一人。
お米と猫と洋楽が好き。好きな海外バンドが来日すると弾丸で上京します。

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